はじめに
いま日本では、政治不信が広がっている、と言われます。
確かにメディアには、政治家の疑惑や不祥事のニュースが続き、国会では大臣が居眠りしたり、政治家の不祥事追及についての質疑・答弁が繰り返されています。
選挙のたびに、メディアでは多少の盛り上がりを見せるものの、結果は選挙律50%前後という低さ。
これで、いいのか、と誰もが思っていますが、なかなか状況はよくならないようですね。
本記事では、この「投票率の低さ」について、考えてみたいと思います。

投票率が低い理由として考えられること
「なぜ投票率が低いのか」については、いろいろな要因が考えられますが、よく言われている原因について紹介します。
政党や候補者の公約の内容やその違いがわからない
まずは選挙に立候補している候補者や、その候補者が所属する政党の公約がよくわからない、というものです。
いろいろな政党があるのは知っていても、その公約の違いがよくわからない、という理由ですね。
特に大きな争点(消費税とか、景気・雇用、〇〇の民営化、など)があれば多少なりともわかりやすいのですが、それにしても政治家の「やりたいこと」が、国民に届いていないようですね。
政党も、その構成員を少しずつ変えながら、くっついたり離れたりしながら、何度も名前が変わるなど、頻繁に姿かたちを変えるので、それについていけない、という意見も耳にします。
ある時期は「マニュフェスト」という言葉が盛んに言われたことがありましたが、あれも今となっては、どこへやら。
結局、候補者の違いがよくわからないので、誰に入れていいのかわからない、積極的に入れたい候補者がいない、という状況になっているようですね。
政治に興味・関心がない
上述の「候補者の違いがわからない」ことの要因になっているとも言えますが、そもそも政治に興味・関心がない、という意見も聞きますね。
鶏が先か、卵が先か、という気もしますが、とにかく「政治」というものに興味がわかない。
逆に「政治」に関心を示す人たちの声の大きさに、辟易しているひとたちは、その反動で「政治」に興味がなくなってしまう、なんてこともあるようです。
「国民なら政治にコミットするべきだ」などと言われると、なんだか強制されているようで、ますます政治から気持ちが離れてしまう。
もっと魅力的な政治家とか、希望のもてる政策があれば、興味がもてるんだけど・・・
そんな、残念な状況が、ますます政治への興味・関心を奪っている、という負のスパイラルが起きているようにも思われます。
投票しても何も変わらない
この理由もよく言われますね。選挙の結果によって、政治が飛躍的に良くなった、という経験がないので、自分が投票しても、しなくても、ほとんど世の中の状況に影響を与えない、と感じている。
また、せっかく投票しても、何の得も得られない、という言い方もできるかも知れません。
だから人によっては、投票率を上げるために、「投票したら、インセンティブを得られるようにしたらいいのではないか」という提案をする人もいます。
言い方を変えれば、この「何も変わらない」は、政治家に何も期待していない、ということでもあり、「政治への興味・関心」の無さが生んでいる原因のような気がしますめ。
また、業界団体や労働組合などの「組織票」などもあったりして、そこに「自分のたった1票なんて投票しても、意味がない」などと思ってしまったりもしそうです。
とにかく、自分の1票が政治や社会に与える影響への諦めのようなものがあるのかも知れません。
投票所まで行くのが面倒
具体的に「投票」をするにしても投票所まで行くのが面倒、という理由もよく聞きます。
若くて元気なひとならともかく、ご老人などは投票所まで歩いていくもの大変、という事情もあるかも知れません。
投票当日は、仕事や家の用事があって、期日前投票しようと思っても、普通の投票所ではなく遠くの役所まで行かなければならない、とか、そういうこともあるでしょう。
もっと駅やコンビニなど、普段の生活の延長で行けるような場所に投票所があれば、ずいぶん違ってくるのかも知れません。
あるいは、インターネット投票もそろそろできるようにならないものか、とも思ったりもします。(技術的な問題や、個人を証明する方法など、いろいろと課題はあるのかも知れませんが・・・)
とにかく、物理的な理由で、投票に行くことが困難、あるいは面倒くさい、ということがありそうです。
投票について思うこと
上記の理由の他にも、日本の教育制度や、経済格差による投票行動への影響などが原因だという識者の方もいます。
個人的には、どの理由ももっともだと思うし、自分自身も同じように面倒に思ったり、空しく感じることもあります。(私自身は、基本的に投票はするようにしていますが)
投票所だけでなく、コンビニやインターネットで投票できるようになれば、投票率はともかく、多くの人が政治参加できるきっかけになるだろうとも思っています。
ただ、考えてみると、この「投票」というのは、ちょっと特別な行為のようにも思えますね。
憲法前文には「主権が国民に存することを宣言し…」という理念が明記されているのですが、これが具体的に国民に与えられているのが、この「投票」の際の1票で、この「投票」行為を行う際は、まだそれによって選ばれるはず「代表者」はまだ存在しないわけです。
選挙によって「代表者」が選ばれれば、その「代表者」が政治のかたちを具体的に決めていき、一度選んでしまうと、国民は、その選んだ「代表者」の決めたことにある程度従わざるを得ないのですが、それより前の選挙のときには、まさに誰にも邪魔されずに「主権」を行使することができる。
なんか、かっこいいというか、立派というか、すごいことだなと思います。
仮に「選挙で投票したらインセンティブをあげる」といわれたら、なんだかその「インセンティブをくれる人」の言いなりになっているようで、ちょっとカッコ悪い。
なんの得にもならず、誰かの言いなりにもならず、自分の意志のみで「主権が国民に存すること」を実行に移すことができる、ということは、これ以上ないほどの主体性によるもので、しかもそのためのハードルはとてつもなく低い。(この権利を持つことができない、あるいはこの権利が公正に運用されていない国もたくさんあるわけですね)
「だからみんな、選挙に行きましょう!」…と言われて投票に行くのだとすると、結局そういう「呼びかけの言いなり」になってしまうことになるので、つまるところ、投票率があがるには、そういう「得にもならず、誰かに従うわけでもない、主体的なひとりひとり」が、しずかに動き始めることが必要なんだなぁ、と思います。
というわけで、自分はできるだけ選挙には行って、投票しようと思っています。

まとめ
日本の選挙率はなぜ低いのか、という疑問について、いろいろと原因が考えられているにもかかわらず、なかなか改善されることなく、多くのひとが投票に足を向けないのは何かもっと根本的な原因があるんじゃないかな、と思っています。
つい、自分の考えを書きましたが、どこかで「主体的」になれない、あるいは、その「主体性」を誰かほかのひとに預けてしまっているような、そんな感じが多くの国民のなかに当たり前のように広がっているのかも知れません。
政治がどんなに興味をひかないものでも、政治がなかなか風通しのよいものにならないとしても、「よし、ちょいと俺が/僕が/私が、ゴミを拾ってやるか」ぐらいの感じで、多くの人が動き出したら、なんとなく投票率ってのは上がってくるのじゃないかな、と呑気なことを考えていたりします。