はじめに
東京オリンピックが開幕しましたね。
同じ日、開会式が行われる前に、航空自衛隊のアクロバット飛行チーム「ブルーインパルス」が、メインスタジアムとなる国立競技場の上空に、カラースモークによる五輪の輪を描きました。
スモークが風に流されたり、空に雲がかかっていたりなどして、その五輪をはっきり確認することができなかったのが残念でしたが、多くの人が期待して空を見上げていましたね。
ところで、この「ブルーインパルス」ですが、昨年2020年6月ごろにも新型コロナウィルスに対応する医療従事者らに敬意を示すために、感謝飛行を行うなど、最近よくメディアに登場しますね。
彼らが航空自衛隊に所属するチームなのは知られていますが、普段はどこで何をしてるんでしょうね。
今回は、この「ブルーインパルス」について調べてみました。

普段は宮城県の松島基地で訓練をしている
「ブルーインパルス」の本拠地は宮城県の松山基地です。普段は松山基地上空でアクロバット飛行の訓練をおこなっているのです。
ただし、毎回基地上空というわけでもなく、宮城県石巻市の太平洋上に浮かぶ島である金華山沖の訓練空域で練習することも多いようです。
ブルーインパルスって、どういう部隊なの?名前の由来は?
ブルーンパルスは、航空自衛隊の存在を多くの人に知ってもらうために、航空自衛隊の航空祭や国民的な大きな行事などで「展示飛行」と呼ばれる華麗なアクロバット飛行を披露する専門のチームです。
正式名称は第4航空団飛行群第11飛行隊で、広告活動としての「展示飛行」を専門で行う部隊です。
その名前の由来は、1960年代当時、アクロバット飛行隊のリーダーの所属する第2飛行隊のコールサインだった「インパルス」と編隊長のTACネーム「ブルー」を合わせて、「インパルス・ブルー」となり、最終的に語呂の良さから「ブルーインパルス」に落ち着いたそうです。
ちなみにコールサインというのは、航空管制交信で使用される部隊の呼び出し符号で、TACネームはパイロット毎の愛称のことです。
1963年の東京オリンピックの開会式で空に五輪を描く
このブルーインパルスが国民に広く認知されるようになったのは、やはり1963年に開催された東京オリンピック(東京五輪)での祝賀飛行でしょう。
当時はオリンピック史上でも前例の無いアトラクションで、開会式が全世界に衛星生中継されていたこともあって、日本国民のみならず、世界的にも「ブルーインパルス」の名は大々的に知られるようになったのです。
ブルーインパルスの事故は起きていないの?
残念ながら、何度か悲しい事故も起きています。
公開展示飛行が20回を超えた1961年7月21日、伊良子岬沖で訓練中に初の墜落事故。さらに1965年11月24日にはアクロバット飛行訓練中に1機が墜落する2度目の事故が発生しました。
その後も1971年の全日空機雫石衝突事故、1972年11月4日の入間基地離陸後に発生した墜落事故。
1982年11月14日の浜松基地航空祭では初の展示飛行中の事故で、パイロットの殉職に加え、地上の民間人にも負傷者が出たそうです。
1991年7月4日に金華山沖で訓練中に4機のうち2機の墜落事故。その9年後の
同じ日、2000年7月4日にも、宮城県の牡鹿半島での墜落事故が発生しました。
この2000年の事故では、墜落地点が女川原子力発電所に近い地域だったこともあり、周辺地域の強い反発を招くことになりました。
ブルーインパルスのアクロバット飛行は華やかで素晴らしいですが、やはり何度かの悲劇を乗り越えているのですね。

さいごに
青と白にカラーリングされた6機の機体が、大空で一糸乱れぬフォーメーションやダイナミックなソロ演技などのパフォーマンスは、日本国内のみならず世界からも高い評価を得ているといいます。
航空自衛隊の存在を知らしめる広告の役割という当初の目的を超えて、コロナウィルスによるパンデミックや、それにより無観客開催とならざるを得なかった2020年(2021年)東京オリンピック開会式などの国難のなか、人々を励まし勇気づける展示飛行を行っているのですね。
今後も、高い技術で美しいアクロバット飛行を見せていただきたいです!
ブルーインパルス、ファイト!
コメント