大相撲界を代表する人気力士の一人として、数々の名勝負を繰り広げてきた遠藤が、ついに現役の土俵を去ることが決定しました。2025年11月1日、日本相撲協会は遠藤の引退と年寄「北陣」襲名を正式に発表。膝の長年の苦しみが頂点に達し、九州場所での幕下転落を機に決断に至った背景には、13年半にわたる激闘の日々が刻まれています。
この記事では、引退の真相を深掘りし、遠藤がファンに残した心揺さぶるメッセージをお届けします。
この記事のまとめ
- 遠藤の引退理由は、両膝の重い手術後遺症による2場所連続全休で、九州場所での幕下転落が決定打となりました。
- 長年の膝痛に耐え抜きながら、ストイックに土俵に立ち続けた遠藤の現役生活は、ざんばら髪ブームを巻き起こすほどの人気を博しました。
- 引退後の年寄「北陣」として、後進指導に専念する予定で、故郷石川県の復興支援も継続します。
- ファンに向けた最後の言葉は、座右の銘「生きることに必死」を体現した、静かなる感謝と前向きな決意に満ちています。
遠藤の引退理由が明らかに…両膝手術の後遺症で2場所連続休場
遠藤の引退の核心は、何と言っても両膝の深刻な故障です。2025年夏、右膝の手術を受けた遠藤は、名古屋場所を全休。続いて秋場所でも左膝の手術を余儀なくされ、再び全休を強いられました。日本相撲協会が公表した診断書によると、右膝は十字靱帯損傷、内側側副靱帯損傷、内側半月板損傷、外側半月板損傷、変形性膝関節症と診断され、2ヶ月の入院加療が必要でした。左膝も前十字靱帯損傷、内側側副靱帯損傷、変形性膝関節症が重なり、復帰の目途が立たない状況に追い込まれました。
これらの手術は、遠藤が現役時代に一切サポーターやテーピングを使わず、膝の痛みを「気休め」と切り捨てて耐えてきた末の結果です。過去のインタビューで、遠藤は膝の状態についてこう語っています。「最初はバンテージみたいなものをつけていたんですが、まあ、意味がないんです。気休めにしか感じなかったんですね。正直、邪魔でした。テーピングすることによってできないことができるようになるわけじゃないし」。このストイックな姿勢が、ファンに「角界一の沈黙の戦士」として愛されてきましたが、同時に体への負担を蓄積させてしまいました。
さらに、2場所連続全休の影響で、九州場所の新番付が発表された10月27日、東幕下3枚目に転落が決定。2013年名古屋場所から13年守り抜いた関取の座を失うことになり、引退を決意したのです。関係者によると、遠藤は番付発表前に家族に連絡し、静かに覚悟を固めていました。父の吉樹さんは、引退の報を聞き、「体もボロボロでしょう。本当にお疲れさまでした」とねぎらいの言葉をかけています。この決断は、膝の後遺症がもはや土俵に立つことを許さないレベルに達したことを示す、避けられない選択でした。
ファンに捧げる最後の言葉:座右の銘が語る静かな感謝
遠藤の引退を象徴する言葉は、座右の銘「生きることに必死」です。この言葉は、土俵上で冷静沈着に見えても、胸に秘めた熱い思いを表しています。引退発表後の関係者コメントでは、遠藤がファンに向けたメッセージとして、「これからも故郷の復興へ共に歩んでいく」と語ったと伝えられています。能登半島地震で被災した石川県穴水町の避難所を訪れた際、遠藤は「生活するのも大変な中、皆さんの前向きな姿を見ると僕も励まされた」と語り、被災者から大きな励ましを受けていました。この経験が、引退後も地域貢献を誓う原動力となっています。
また、過去のインタビューで遠藤は、引退後の手術について「好きで怪我しているわけではないので…自分から体にメスを入れることを許したくない」と述べていましたが、現役続行が不可能となった今、ようやく膝の手術に臨む決意を固めました。ファンへの最後の言葉は、直接的なインタビュー形式ではありませんが、こうした一貫した姿勢から読み取れます。「生きることに必死」――この言葉は、怪我に耐え、ざんばら髪でブームを起こし、金星7個を獲得した遠藤の人生そのものです。ファンの皆さんは、この言葉に、遠藤が土俵で示した不屈の精神を感じ取っているでしょう。
遠藤の輝かしいキャリアと膝痛との闘い
遠藤の大相撲人生は、華々しいスタートを切りました。1990年、石川県穴水町生まれの遠藤は、小学1年生から相撲を始め、金沢学院東高校、日大でアマチュア横綱に輝きました。2013年春場所、幕下10枚目格付け出しで初土俵を踏み、同年秋場所で新入幕。史上最速の3場所で幕内に昇進し、ざんばら髪のユニークなスタイルで一躍注目を集めました。2018年夏場所には小結に昇進し、通算成績527勝494敗88休を残しました。三賞は殊勲賞1回、敢闘賞1回、技能賞4回、金星7個と、技術派力士としての実力を遺憾なく発揮しました。
しかし、キャリアの影には常に膝痛の影が忍び寄っていました。左膝の慢性的な故障は、入門当初から付きまとい、テーピングすら「邪魔」と感じるほどでした。最高位の小結時代も、痛みを隠しての取り口が評価され、技能賞を複数回受賞する要因となりました。2024年の十両陥落時には、北國新聞社を訪れ、学園長の飛田秀一さんと懇談し、「引退せずに十両の土俵に上がる」と誓いました。このエピソードは、遠藤の忍耐強さを物語っています。
引退後の活躍:年寄「北陣」として後進を育てる
引退後も、遠藤は日本相撲協会に残り、年寄「北陣」を襲名します。追手風部屋付き親方として、後輩の指導に当たる予定です。すでに北陣の親方株を取得しており、将来的には新部屋の立ち上げも視野に入れています。追手風部屋の継承は大栄翔さんが有力視される中、遠藤は「後輩の下で部屋付き親方になるのは癪」との声もあり、独立への意欲がうかがえます。武蔵川親方(元武蔵丸)は、遠藤の「黙々と淡々とした性格」を高く評価し、好きな力士の一人と公言していました。この性格が、親方としても後進に厳しくも温かい指導をもたらすでしょう。
さいごに
遠藤の引退は、大相撲ファンに大きな喪失感を与えますが、同時に新たな章の始まりでもあります。膝の痛みに耐え、静かに闘い続けた戦士の物語は、座右の銘「生きることに必死」の言葉とともに、多くの心に刻まれました。年寄「北陣」として、故郷石川の復興を支え、後進を育てていく遠藤の姿を、これからも温かく見守りましょう。遠藤、本当にお疲れさまでした。ありがとうございました。

