山口彊さんは、広島と長崎で二度にわたり原爆の被害を受けた「二重被爆者」として知られています。
なぜ一人の人間が二つの異なる都市で原爆を経験することになったのか、その背景には歴史の偶然と過酷な運命が交錯していました。
この記事では、山口彊さんの壮絶な人生をたどり、なぜこのような稀有な体験に至ったのかを詳しく解説します。
また、彼の体験を通じて、核兵器の恐ろしさと平和の尊さを考えます。
この記事のまとめ
- 山口彊さんは、広島と長崎で二度被爆した唯一の公式認定者です。
- 広島での被爆は出張中、長崎では故郷で起きました。
- 彼の人生は、原爆の後遺症や家族の喪失と向き合いながらも、平和へのメッセージを伝えるものでした。
- 家族による語り継ぎ活動や映画化を通じて、その遺志は後世に引き継がれています。

なぜ山口彊さんは二重被爆に至ったのか?
山口彊さんは、1916年に長崎県で生まれ、長崎三菱造船所で設計技師として働いていました。
1945年5月、仕事のために広島の造船所に出張が決まり、同年8月7日までの予定で広島に滞在していました。
ところが、8月6日、広島市に原爆が投下された際、山口さんは爆心地から約3キロメートルの広島電鉄江波電停付近にいました。
この時、左鼓膜が破れ、左上半身に大やけどを負う重傷を負いました。
命からがら広島を脱出し、8月7日に故郷の長崎に戻った山口さん。
しかし、8月9日、傷を負った身体で職場に復帰し、上司に広島の惨状を報告している最中、長崎にも原爆が投下されました。
この時、山口さんは長崎の爆心地から約4キロ離れた場所にいましたが、再び被爆。
奇跡的に生き延びたものの、2度の被爆は彼の身体と心に深い傷を残しました。
この二重被爆は、単なる偶然の産物でした。
広島への出張がなければ、そして長崎が第二目標として選ばれなければ、山口さんが二度被爆することはなかったでしょう。
歴史の皮肉と戦争の無慈悲さが、彼を稀有な「二重被爆者」にしたのです。

山口彊さんの被爆体験とその影響
山口さんが広島で目撃した光景は、筆舌に尽くしがたいものでした。
彼は後年、短歌でその惨状をこう表現しています。
大広島炎(も)え轟(とどろ)きし朝明けて川流れ来る人間筏(いかだ)
この短歌は、川面を埋め尽くす遺体の光景を描写したもので、広島の壊滅的な被害を象徴しています。
長崎でも同様に、爆心地付近の黒こげの遺体や壊滅した街並みを目の当たりにしました。
被爆後、山口さんは放射線による後遺症に悩まされました。2009年のインタビューでは、原爆の後遺症とみられる胃がんに罹患していることを明かしています。
また、妻と長男を原爆症で亡くし、家族にも大きな影響が及びました。
それでも、彼は戦後、米軍の通訳や中学校の英語教師として働き、後に三菱造船所に復職。

語り部としての活動と家族による継承
山口さんは戦後長らく被爆体験を語ることを避けていましたが、2006年に記録映画『二重被爆』に出演し、その壮絶な体験を公にしました。
2009年には、米国の映画監督ジェームズ・キャメロンさんが病室を訪問。
山口さんは英語で「私の役目は終わった。後はあなたに託したい」と語り、自身の体験を後世に伝えることへの強い願いを表明しました。
この言葉は、キャメロンさんが企画する映画『Ghosts of Hiroshima』に影響を与え、山口さんの人生が映画化されるきっかけとなりました。
山口さんが2010年に93歳で亡くなった後も、家族はその遺志を継いでいます。
孫の原田小鈴さんは、祖父の体験を紙芝居や講演を通じて全国で語り継いでいます。
彼女は「被爆者本人から話を聞ける最後の世代」として、平和教育の重要性を訴えています。
また、ひ孫の原田晋之介さんも「被爆4世」として、曽祖父の被爆者健康手帳を示しながら学校で語り部活動を行っています。

二重被爆がもたらした歴史的意義
山口さんの二重被爆は、核兵器の非人道性を象徴する出来事として、国内外で注目されました。
しかし、2010年に英国BBCの番組『QI』で彼の体験が「世界一運が悪い男」として笑いのネタにされたことが物議を醸しました。
これに対し、在英国日本大使館が抗議し、BBCは謝罪声明を発表。
山口さんの体験が軽視されたことへの批判は、核兵器被害の深刻さを改めて浮き彫りにしました。
日本政府は、山口さんを二重被爆者として公式に認定し、原爆手帳に広島と長崎の両方の被爆記録を記載しました。
これは、核兵器の被害が一過性のものではなく、長期にわたる影響を持つことを示す重要な事例です。

さいごに
山口彊さんの二重被爆は、戦争の無慈悲さと核兵器の恐ろしさを体現する歴史的な出来事です。
彼が経験した苦しみは、単なる個人の物語ではなく、核廃絶と平和を訴える普遍的なメッセージとして、今も私たちの心に響きます。
家族による語り継ぎや映画化を通じて、山口さんの遺志は次世代に引き継がれています。
私たち一人ひとりが、戦争の過ちを繰り返さず、平和な未来を築くために何ができるのかを考え、行動する責任があるのではないでしょうか。
