中田翔と美馬学が和解成立…「美馬だけは許さねえ」から握手まで何があったのか

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プロ野球界で12年間語り継ばれてきた「美馬だけは許さねえ!」の因縁が、2025年についに終わりを迎えました。
両者とも今季限りで現役を引退したその年に、フジテレビ「プロ野球珍プレー好プレー大賞2025」の収録で12年ぶりの再会が実現。
スタジオで交わされた固い握手と笑顔は、多くのファンを感動させました。
この記事では、因縁の発端から和解に至るまでの全経緯を、当時の事実と番組での発言をもとに詳しくお伝えします。

この記事のまとめ

  • 因縁の発端は2013年8月21日の死球による中田翔さんの左手骨折
  • 2017年の再死球で「美馬だけは許さねえ!」の一言が誕生
  • 対戦成績は中田翔さんが圧倒的で、美馬学さんは「4年間インコースにいけなかった」
  • 2025年引退同士で珍プレー好プレー大賞に出演し、握手で和解成立
  • 中田翔さんは「美馬さんに怒りはなかった」と明言

二人の間に何があったのか

すべては2013年8月21日、楽天対日本ハム戦から始まりました。
当時、本塁打28本でリーグトップを独走していた中田翔さんに、美馬学さんが投じた球が左手に直撃。
診断の結果、左手第5中手骨亀裂骨折が判明し、シーズン終盤を欠場。本塁打王のタイトルも逃してしまいました。

中田翔さんは後年、このときの心境をこう振り返っています。
「ショックは大きかったが、美馬さんに怒りはなかった。骨折だから仕方ないか…」

一方、美馬学さんにとってはこの死球が大きなトラウマとなりました。
番組内で美馬学さんは率直に告白しています。
「4年間インコースにいけなかったので、めちゃくちゃ打たれた」

実際、二人の対戦成績は62打数21安打、7本塁打、24打点、打率.339と、中田翔さんが完全に「お得意様」にしていました。

因縁が決定的になったのは2017年4月29日の日本ハム対楽天戦です。
7回先頭の中田翔さんに再び美馬学さんの球が左太もも付近に直撃。
中田翔さんは激高し、ベンチから飛び出して「美馬だけは許さねえ!」と叫びました。
両軍ベンチが一斉に飛び出し、一触即発の空気になったこの場面は、今でも多くのファンの記憶に残っています。

このときの様子を、元同僚の杉谷拳士さんが番組で明かしました。
「『美馬だけは許さねえ!』と、美馬さんが先発の時だけミーティングに来るのが一番早かった」
このエピソードにスタジオは大爆笑。重い空気を一気に和らげる名場面となりました。

2025年、運命の再会と和解の瞬間

2025年、奇しくも二人とも今季限りで現役引退を発表。
そして訪れたのが「プロ野球珍プレー好プレー大賞2025」の収録でした。

過去の死球映像が流れた後、三宅正治アナウンサーが静かに切り出します。
「これをもって和解でよろしいですか?」

中田翔さんと美馬学さんは立ち上がり、丁寧にお辞儀を交わしました。
そして固く握手を交わし、笑顔で向き合います。
スタジオは大きな拍手に包まれ、二人は記念の2ショットも披露。
美馬学さんはその後、自身のXで「和解が成立しました」と報告しました。

12年間の因縁に、ついに温かい終止符が打たれた瞬間でした。

中田翔さんのキャリアを振り返る

中田翔さんは2007年高校生ドラフト1位で日本ハムに入団。
通算302本塁打、1338打点、打点王3回、ベストナイン5回、ゴールデングラブ賞5回という輝かしい成績を残しました。
巨人、中日を経て2025年に現役引退。

引退会見では「ドラゴンズに対して全く貢献できず申し訳ない」と頭を下げながらも、ファンへの感謝を何度も口にしていました。

美馬学さんのキャリアを振り返る

美馬学さんは2010年ドラフト2位で楽天に入団。
2013年の日本シリーズでは巨人相手に2勝を挙げ、楽天初の日本一に貢献しMVPを獲得。
2019年オフにFAでロッテに移籍し、2025年に引退を発表しました。

引退会見では「ボロボロだった体をなんとか持たしてくれていた」と、周囲への深い感謝を語っていました。

さいごに

「美馬だけは許さねえ!」という叫びから始まった12年間の物語が、握手という形で幕を閉じました。
プロ野球は厳しい勝負の世界ですが、そこに生まれる人間ドラマがあるからこそ、私たちは心を奪われるのです。

中田翔さんと美馬学さん。これからは解説者や指導者として、新たな形で野球界を支えていくことでしょう。
二人の和解は、プロ野球の美しさと奥深さを改めて教えてくれました。

長い因縁に終止符が打たれたこの日を、ファンはきっと忘れません。
中田翔さん、美馬学さん、本当にお疲れさまでした。そして、ありがとうございました。

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