高市首相、安倍元首相生前写真をクリアファイルに入れ伊勢神宮参拝 「軽率」「カルト的」とSNS炎上

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2026年1月5日、高市早苗首相が伊勢神宮を参拝した際、安倍晋三元首相の生前写真をクリアファイルに入れて持参したことが明らかになりました。

この行動は、参拝後の年頭記者会見で高市首相自身が説明したものです。

しかし、SNSではこの行為に対し、「軽率」「カルト的」「気持ち悪い」といった厳しい批判が相次ぎ、大きな物議を醸しています。

この記事のまとめ

  • 高市首相は2026年1月5日、伊勢神宮を参拝し、安倍元首相の遺影として使われた写真と、2016年のG7伊勢志摩サミット時の写真をクリアファイルに入れて持参しました。
  • 宇治橋上で写真を広げて両岸を見せ、「もう一度、安倍総理を伊勢神宮に連れてきてあげたかった」との思いを語りました。
  • 年頭記者会見で、高市首相は「伊勢神宮に参りましたよ。再び安倍総理も一緒に来られましたよ」という感謝の気持ちを伝えたかったと説明しています。
  • この行動に対し、SNSでは「穢れを持ち込む」「故人利用」「不適切」「カルト的」などの批判が広がっています。
  • 一部では、クリアファイルに入れた扱いが雑だと指摘する声もあります。

高市首相の伊勢神宮参拝と安倍元首相写真持参の経緯

高市早苗首相は、2026年1月5日、三重県伊勢市の伊勢神宮を参拝しました。これは歴代首相の年頭恒例行事です。安倍晋三元首相は在任中、年頭に計9回伊勢神宮を参拝しており、2016年のG7伊勢志摩サミットでは各国首脳とともに訪れています。

参拝時、高市首相は安倍元首相の写真を手に持ち、内宮入り口の五十鈴川にかかる宇治橋を渡りました。周辺によると、橋上で写真を掲げた様子が確認されています。写真は、安倍元首相の遺影として使用されたものと、伊勢志摩サミット時のものの2枚で、クリアファイルに入れられていました。

高市首相の年頭記者会見での説明

参拝後の年頭記者会見で、記者から安倍元首相の写真持参について問われた高市首相は、次のように答えました。

「少し広げて、橋の上で両岸を見ていただいたのですけれども、安倍総理をもう一度伊勢神宮に連れてきてあげたかったなと思った」

さらに、持参した写真について詳しく述べています。

「安倍総理は内閣総理大臣としての新年の参拝は計9回されている。ほかにも伊勢志摩サミットもございました。あの時にG7の各国首脳と伊勢神宮を参拝された時のお写真と、遺影にお使いになっていたお写真を持って参りました。ただそれだけのことですけれど、『伊勢神宮に参りましたよ。安倍総理も再び、いっしょに来られましたよ』という気持ちをお伝えしたかった。感謝の心とともにお伝えしたかったということでございます」

高市首相は、安倍元首相を後見人として敬う気持ちからこの行動を取ったと強調しました。

クリアファイルに入れた写真の扱い

ニュース映像や報道写真では、高市首相がクリアファイルに挿入した安倍元首相の写真を手に持つ姿が映っています。一部の報道では、サイズの合わない写真をクリアファイルに入れた様子が指摘されており、SNSではこの点も批判の対象となっています。

例えば、撮らせ終わった後に隣の人物にファイルを渡すような動作が見られたとする指摘もあります。この扱いが、故人を軽んじているように見えるという声が上がっています。

SNSでの批判と炎上の内容

この参拝と写真持参の行動が報じられると、SNSではすぐに反応が広がりました。主な批判点は以下の通りです。

神道の教えでは、死や穢れを神域に持ち込むことを避けるべきだとする意見が多く、「伊勢神宮に遺影を持ち込むのは不適切」「穢れを持ち込む行為」との声が目立ちます。

また、「故人の政治利用」「パフォーマンス」「安倍イタコ政権」との表現で、政治的な意図を疑う投稿も見られます。「マジでキモい」「カルト的」「軽率」といった強い言葉を使った批判が相次いでいます。

一部では、高市首相の行動を「安倍晋三を神格化し過ぎ」と指摘する意見もあり、宗教的なニュアンスを問題視する声もあります。

批判の背景にある神道の穢れ観念

伊勢神宮は日本神道の中心的な神社であり、清浄さが重視されます。

神道では死を穢れとみなす伝統があり、神域への遺影持参は慎重に扱われるべきだとする見方が、批判の根拠の一つとなっています。

この点について、SNSでは「神道の伝統を無視している」「伊勢神宮が穢れる」といった表現で議論が広がっています。

さいごに

高市首相の安倍元首相写真持参による伊勢神宮参拝は、個人的な感謝の表れとして行われたものです。

しかし、クリアファイルに入れた扱いや神域への持参が、SNSで「軽率」「カルト的」との批判を呼び、炎上する事態となりました。

この出来事は、故人を偲ぶ行為と公的行動の境界、公衆の感覚とのずれを浮き彫りにしています。

政治家としての行動がどのように受け止められるか、今後も注目されます。

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