2025年11月21日、高市早苗首相が自身のXに投稿した一連の文章が、瞬く間にネット上で大炎上を引き起こしました。G20サミット出張前の何気ない「洋服選びの悩み」のはずが、「マウント取れる服」という表現が火種となり、国民から厳しい批判が殺到しています。なぜこの発言がこれほどまでに反発を招いたのか、背景から国民の違和感の核心までを徹底的に掘り下げます。
この記事のまとめ
- 高市首相はG20出張の準備で「安物に見えない服」「なめられない服」を選ぶのに数時間悩んだと投稿
- 最後に「外交交渉でマウント取れる服、無理をしてでも買わなくてはいかんかもなぁ」と記したことが決定的な引き金に
- 批判の中心は「総理としての品格欠如」「外交を対立・威圧と捉えている印象」「国民感情とのズレ」の3点
- 発言は国内外のメディアでも取り上げられ、国際的な注目を集めている
高市首相の発言全文と投稿の背景
高市首相は南アフリカ・ヨ Buffering 20サミットに向かう政府専用機内から、次のように投稿しました。
昨日は出張用荷物のパッキングをしましたが、悩みに悩んで凄く時間がかかったのが、洋服選び…。
参議院予算委員会で安藤裕議員が「安物の服で対応していたらなめられます」と御発言されたことが頭の中でグルグル。
私は日本最高の生地を使った服は持っていませんが、「安物に見えない服」「なめられない服」を選ぶことに数時間を費やしました。
結局、手持ちが少なく…外交交渉でマウント取れる服、無理をしてでも買わなくてはいかんかもなぁ。
この投稿は、11月14日の参院予算委員会での安藤議員の発言を直接引用し、それを受けての「苦労話」として書かれたものでした。
なぜここまで批判が殺到したのか? 国民が感じた3つの決定的な違和感
違和感① 総理大臣の言葉としてあまりに軽率・幼稚だった
「マウントを取る」という表現は、SNSや若者文化では日常的に使われるスラングです。しかし、国家の最高責任者が国際舞台を前にこの言葉を公の場で使うことは、多くの国民にとって受け入れがたいものでした。
- 「外交を喧嘩や格闘技のように考えているのか」
- 「総理の器ではない」「品格がなさすぎる」
- 「64歳の国家指導者が使う言葉ではない」
この一言が、首相の教養や成熟度、さらには国家観そのものを疑わせるきっかけとなりました。
違和感② 外交の本質を根本的に誤解させる危険な表現
G20サミットは、経済協調や気候変動、国際秩序など、世界が協力して課題を解決する場です。
しかし「服でマウントを取る」「なめられない」という表現は、外交を「相手を圧倒する競争」や「威圧の場」と位置づけるように聞こえます。
- 相手国首脳に対して失礼極まりない
- 日本の国際的信頼を自ら傷つける発言
- ソフトパワーではなく、ハードパワー的な発想に見える
- 女性初の首相として期待されていた「対話型外交」のイメージを一瞬で崩壊させた
実際に海外メディアでは次のような見出しが並びました:
- “Japanese PM wants ‘dominating outfit’ for G20 talks”
- “Japan’s first female leader seeks ‘power clothes’ to avoid being looked down on”
皮肉と驚きのトーンで報じられ、国際的なイメージダウンにつながっています。
違和感③ 国民生活との深刻な乖離感・タイミングの悪さ
この投稿がされたタイミングは、以下の状況と完全に重なっていました。
- 閣僚給与削減を「身を切る改革」としてアピールしていた直後
- 円安・物価高で家計が苦しい国民が大勢いる時期
- 公費(税金)で海外出張に行く直前の発言
「国民は節約を強いられているのに、総理は服でマウントを取ろうとしているのか」
このギャップが、怒りを爆発させる最後の引き金となりました。
海外メディアの反応
BBC、Reuters、CNN、South China Morning Post、The Guardianなど、多くの海外メディアがこの発言を速報で伝えました。
共通するのは「驚き」と「皮肉」のトーンで、日本の首相が「服で他国を支配しようとしている」と受け止められています。
一部メディアは「日本の政治文化の特異性」を象徴するエピソードとして紹介しており、国際的な注目度の高さがうかがえます。
さいごに
高市首相の「マウント取れる服」発言は、単なる失言ではなく、政治家の言葉の重み、SNS発信のリスク、そして国民感情との距離感を改めて問う出来事となりました。
G20サミットでどれだけ成果を上げられるかで評価は変わるかもしれませんが、この一言が残した傷跡は簡単には消えないでしょう。
言葉は一度発せられたら取り消せません。特に総理大臣の言葉は、国を代表する重みを持っています。この騒動は、私たち全員が「言葉の選び方」を改めて考えるきっかけになるのではないでしょうか。

