不思議なことに、学生の頃はあんなに苦手だった勉強なのに、
大人になってから急にいろいろなことを勉強したくなったりしますよね。
学生の頃は、大人になったらもう勉強しなくていいのに、と、
大人になることにあこがれたこともあります。
大人になって勉強するということ
でも本当は、大人こそ勉強するべきなんじゃないでしょうか。
仕事のためだけではなく、自分のための勉強はいつ始めても遅くはありません。
でも、大人になってからの勉強は、学生の頃の勉強とはちょっと意味が違うような気がします。
大人が勉強する、ってどういうことなんでしょうか。
どうすれば、より深く価値のある勉強ができるのでしょうか。
大人が勉強する意味について考えてみました。
そもそも勉強って何
学生時代は、勉強って大嫌いでした。多くの人がそうかも知れません。
それはたぶん、勉強した内容をテストで試されるからじゃないでしょうか。
自分がどれだけ勉強できたかを試される・・・それが辛いんですね。
例えば、遊びだったらどんなに長い時間でも、勉強のように辛くなることは少ないですよね。
それは遊びはどれだけでも自由に、自分の好きなだけやっても構わないから。
でも勉強は、勉強して身につけた知識や教養について、テストで試されたり、他の人と比べられることで、必要以上に詰め込まれるから、嫌になっちゃうんじゃないでしょうか。
目標に向けてがんばることはいいことだ、とされていますが、
本当は、目標なんてもたないでも、自分の好きなやり方で、好きなだけ勉強していいんです。
でも、だったらなんで勉強なんてしなければならないのでしょう。
目標がないのに、勉強することに何の意味があるのでしょう。
勉強って、何なんでしょう。
勉強したことの価値を知るために、人は勉強する
「勉強って何」
実は、この問いかけこそが、勉強することこ意味そのものなんです。
ちょっと、ややこしいですけど。
例えば、社会人になって会社で仕事をしながらいろいろなことを学びますね。
でもそれはあくまでも会社のため、仕事の利益という目的のために必要な知識や経験です。
では、そうした知識や経験は、会社を離れて自分自身にとってどんな価値があるんでしょうか。
そうした問いには、会社は答えてくれません。
だって、会社で身に着ける知識や経験が、社員にとってどんな価値があるかなんて、
ひとりひとり違ってくるに決まっているからです。
だから、その価値を知るためには、自分自身が会社で学ぶのとは別に勉強しなければなりません。
いわば、勉強(会社の学び)で身に着けたことの価値は、勉強することによってしか知ることができないのです。
大人が勉強することの価値
だから、勉強しないでいても、何も起きません。
ただただ、日々が過ぎていき、会社の仕事をこなし、家庭の仕事をこなし、時間だけが過ぎていきます。
逆に言えば、ただただ勉強することで、勉強することの価値を知ることができ、
さらに勉強をつづけながら、その価値を追い続ける・・・というサイクルで、
人は勉強を続けるんですね。
それは何かの「目標」のためではないんです。
ただ勉強することで、人は、自分の(身に着けた知識や経験の)価値を知ることができるわけです。
学生のころには、勉強というものは目標を達成するための手段だったのですが、
大人になると、勉強そのものが生きる価値そのもの、ということになるんじゃないでしょうか。
だから、大人こそ勉強するべきなんじゃないかな、と、
そう、思うのです。