坂東彌十郎さんの若い頃は?学歴や自宅について

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はじめに

2022年のNHK大河ドラマ『鎌倉殿の13人』で、主人公・北条義時の父、北条時政役を演じた坂東彌十郎さん。

歌舞伎ファンからは「やじゅさん」と親しみを込めて呼ばれているそうです。

今回は、坂東彌十郎さんについてしらべてみました。

坂東彌十郎さんの自宅

坂東彌十郎さんは東京都板橋区内にお住まいで、板橋区の観光大使もされています。

ネットでもう少し詳しく調べてみたところ、どうやら、このマンションにお住いのようです。(あくまで、ネット上の情報なので、悪しからず)

衛星写真、ストリートビューの出典:グーグルマップ

このあたりは、昔ながらの下町風情が残る景観で、まだ武家屋敷の跡が残るような落ち着いた場所のようですね。

ちなみに、2022年1月2日(日)にNHKで放映された『サンドのお風呂いただきます「歌舞伎俳優 愛之助&彌十郎とお正月SP」』という番組で、坂東彌十郎夫婦が通う温泉施設として東京都・板橋区「前野原温泉 さやの湯処(さやのふろ)」が紹介されました。

地図、ストリートビューの出典:グーグルマップ

坂東彌十郎さんのプロフィール

【氏名】坂東彌十郎(ばんどう・やじゅうろう)
【生年月日】1956年5月10日
【出身】東京都
【身長】183cm
【血液型】O型
【屋号】大和屋
【定紋】三ツ大
【替紋】花勝見
【本名】本間寿男
【趣味】演劇鑑賞・旅行・トレッキング

坂東彌十郎さんの若い頃

十代の頃の坂東彌十郎さんは、「どうしても歌舞伎役者になりたい」と、八代目三津五郎一門に入門。1973年5月の歌舞伎座『奴道成寺』の所化観念坊で坂東弥十郎(現・坂東彌十郎)を名乗って初舞台を踏みました。この時、坂東彌十郎さんは17歳で、歌舞伎役者としては遅咲きと言われています。

けれども、1975年1月に三津五郎さんがフグに中って不慮の死を遂げ、十四代目守田勘彌の門に移たものの、2か月後には守田勘彌さんも急死してしまったことから、

しかし1975年1月に三津五郎さんがフグに中って不慮の死を遂げ、十四代目守田勘彌の門に移たものの、2か月後には守田勘彌さんも旅立ってしまったことから後ろ盾を失くすかたちとなり、役がつかなくなったため、一般演劇にも出演するようになったということです。

183cmという歌舞伎界きっての背の高さがハンデとなって、役に恵まれない状況もあったようですね。

その後、三代目市川猿之助の門下に移り、1978年の『五大力恋緘』(五大力)の男芸者、『人情噺文七元結』(文七元結)の鳶の頭で名題に昇進。

猿之助一座で立役、敵役、老役と幅広い役柄をこなし、1998年には真山青果賞奨励賞を受賞されています。

三代目猿之助演出のオペラ『コックドール』等では演出助手を務め、坂東玉三郎さんの『夕鶴』の演出も手がけるなど注目を集めていましたが、「もっと海外でやってみたい」との思いが芽生えたことから一門を離れました。

その後、同世代の十八代目中村勘三郎さんによる「平成中村座」に参加、2014年には長男の坂東新悟さんと自主公演「やごの会」を立ち上げ、2016年にはフランス、スイス、スペインの3ヵ国をめぐるヨーロッパ公演も行っています。

2022年のNHK大河ドラマ『鎌倉殿の13人』の北条時政役で広い世代からの支持を集めるようになりました。

若い頃の彌十郎の写真を見ると、なかなかの好青年ですね。

坂東彌十郎さんの学歴

坂東彌十郎さんの学歴についても調べてみました。

【小学校】千代田区立麹町小学校
【中学校】暁星中学校
【高校】明星高等学校
【大学】進学せず

さいごに

『鎌倉殿の13人』への出演以来、歌舞伎ファンのみでなく、坂東彌十郎さん。

ドラマで演じた北条時政のどこか憎めない、おちゃめで親しみを感じさせるキャラクターは、坂東彌十郎さん自身のキャラクターであるようにも感じられます。

これからも、歌舞伎から映画やテレビドラマまで、幅広い活躍を応援しています!

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